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occupied Korea, language

2015年09月15日
36年間の日本による植民地時代は,朝鮮語の世界でもさまざまな陰を落としている。日本を通して朝鮮に導入された多くの文物とともに,それを表す日本語の単語がそのままの形で朝鮮語に入り込み,今なお使われているものが少なくない。

ソウルの街にあふれかえる屋台を覗くと,竹の棒にガマの穂の形に押し固められた魚肉の練り物「オデン」なる食べ物が売られている。言うまでもなく日本語の「おでん」から来ている単語である。「ガマの穂の形」ということで,まさに「蒲鉾」の原型を見るかのようであるが,この「オデン」なる単語を別の朝鮮語に言い換えようという試みが何度もあり代用語まで作られたが,いま一つ広まっていない。

このように,日常生活でよく目にするものの名前に日本語がそのまま残っているケースが少なくない韓国だが,過去何度となく「国語醇化」の名のもとに,日本語を固有の朝鮮語に置き換える動きがあったが,いちど定着した言葉は換えるのがなかなか難しいようで,醇化運動は必ずしも全てが成功しているとはいえない。

北ではどうなっているのか,現地に行ったことがないのでよくは知らないが,私が学生時代に,60年代にピョンヤンで少年時代を過ごしたという中国人に会ったことがあり,そのあたりの事情を聞いてみたことがある。すると,「サクラ,セビロ,ジャンケッポイ」などの言葉を使っていたとのことだった。
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