徒桜 あだざくら
2020年04月10日
仇桜 seems to be an obsolete way of writing 徒桜(あだざくら), which seems to often be in hiragana nowadays.
明日ありと思う心の仇桜(あだざくら)
明日ありと思う心の仇桜とは、明日はどうなるかわからないという、世の中や人生の無常を説いたことば。
...
明日も咲いているだろうと思っていた桜も、夜のうちに嵐が吹いて散ってしまうかもしれないという意味から。
「仇桜」とは散りやすい桜の花のことで、はかないもののたとえ。
『親鸞上人絵詞伝』に「明日ありと思ふ心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは(明日もまだ桜は咲いていると思っているが、夜更けに嵐がきて桜の花を散らすことがないといえようか、そんなことはない)」とある。
「明日ありと思う心の徒桜」とも書く。
明日ありと思う心の仇桜(あだざくら)
明日ありと思う心の仇桜とは、明日はどうなるかわからないという、世の中や人生の無常を説いたことば。
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明日も咲いているだろうと思っていた桜も、夜のうちに嵐が吹いて散ってしまうかもしれないという意味から。
「仇桜」とは散りやすい桜の花のことで、はかないもののたとえ。
『親鸞上人絵詞伝』に「明日ありと思ふ心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは(明日もまだ桜は咲いていると思っているが、夜更けに嵐がきて桜の花を散らすことがないといえようか、そんなことはない)」とある。
「明日ありと思う心の徒桜」とも書く。
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