WWII Hiroshima stuff
2020年08月07日
米国が原爆投下を正当化する理由として、①日本を早期降伏に追い込み、米国人の犠牲を少なくする必要があった②ドイツ降伏から3カ月以内に対日参戦することを米英ソがヤルタ会談で「密約」していたなか、米国は戦後日本の占領での支配権を得るため、原爆投下でソ連を牽制した③実戦で原爆の威力を図るため――といった点がしばしば指摘される。
しかし、この記事のように原爆投下の正当性に疑問を呈する学者は米国では少なくない。特に2発目の長崎への投下は、日本がすでに戦争続行能力を失っていたことから不必要だったとの見方が以前から根強い。
筆者が2002年から2003年にかけて留学した米大学院の国際関係の授業でも、米国による原爆投下が議論になったが、当時でさえも、米国人学生の半数ほどが「長崎への原爆が不必要だった」との認識を抱いていた。使用していたテキストでも「長崎の原爆投下をめぐっては議論がある」と紹介されていた。
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アメリカ人にとって、第二次世界大戦は「ファシズムに勝利した解放戦争」であるという意識があり、この意識が少なくとも長い間、共有されていました。原爆投下に対する「広島、長崎への原爆投下を正当化できるか」という質問に対しては、1945年のギャラップの調査では85%が「正当化できる」と答えています。それでも時間がたつ中で戦争についての見方も変わってきました。この記事もその一つ。原爆にしろ、東京大空襲にしろ、第二次大戦に対して当時のアメリカの戦略に否定的な世論も時間をかけて増えてきたといえる気がします。
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今だから言えることだよね。
あの時代世界には明確に白人至上主義があり、日本だけが
唯一それに立ち向かった。
有色人種である日本人にあれを使うことは、ドイツほどの罪悪感が
なかったのは事実。
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確かに日本の降伏は時間の問題だった。そういう意味では、原爆投下は不要だっただろうが、大戦後の冷戦における主導権を得るために、新兵器の威力を誇示する必要があったと言われている。その結果アメリカの核兵器独占に危機感が広がり、核兵器の技術がソ連にリークされたのは皮肉な話。
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今更この様な議論が必要なのかという意見もあるだろうが、私はやってみる価値はあると思う。
理由は、アメリカが「民主主義」の国だからだ。
アメリカ人が原爆投下が必要であったと考えればまた核兵器が使用される敷居が低くなる。
そういった意味ではこの議論は必要だ。
言い方を変えれば「戦争を終わらせるために民間人の大量虐殺が必要である」という考え方なのだ。
良識のある人間なら何かがおかしいと感じてくれると信じたい。
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仮に広島へ投下した一発が戦争終結の引き金になったとしても3日後の長崎投下は全く必要なかったと思う。日本はウラン型とプルトニューム型の実験場にされたのが真実ではないだろうか。当時の米国政府と関係した科学者たちの強い興味と願望がそうさせたと思う。
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戦争を経験していない米国の若者たちの意見はどう変化しているのか知りたい
当時の自分たちの国家が、投下して威力を確かめたかった、データが欲しかった
白人ではない日本人たちが、苦しむことなど気にしていなかったと認識し始めたのかな
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原爆による死者が殆ど一般人で14万人と大虐殺に間違いないのに何故アメリカの責任を追及しないのか不思議である。日本人はこの大虐殺の事実を発言しないで本当に核兵器の廃絶を真剣に考えているのか。本当に平和を考えているのか改めて不思議である。
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現代の価値観と視点で過去を冷静に分析し評価すべきであり、それは常に更新されるべきだと思う。ただし、その新しい価値観や評価軸をもって過去の出来事を現代に持ち込むことは不毛。
過去には過去の事情があり、現代には現代の事情があるので、混同せず歴史に学び歴史を紡ぐことが重要。
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戦術的な意味で必要性は皆無だった、ってだけの話でしょ。
その後の米の世界における戦略的意味合いにおいて必要、だから落とした。
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原爆と空襲(特に東京大空襲)は軍事目標主義もへったくれもなくて単なる大虐殺。
軍事施設を壊滅させれば戦勝とか終戦には十分な話。
敗戦した日本には隣国からあることないこと言われているが、戦勝国ももういい加減もう少し客観的な分析が欲しい。
あと、北方領土問題については、ソ連が南下してきたのはほとんどは日本がポツダム宣言を受諾してほぼ武装解除状態だったときで、戦争とも言えない単なる火事場泥棒、略奪だったことはもっと声をあげていいと思う。
しかし、この記事のように原爆投下の正当性に疑問を呈する学者は米国では少なくない。特に2発目の長崎への投下は、日本がすでに戦争続行能力を失っていたことから不必要だったとの見方が以前から根強い。
筆者が2002年から2003年にかけて留学した米大学院の国際関係の授業でも、米国による原爆投下が議論になったが、当時でさえも、米国人学生の半数ほどが「長崎への原爆が不必要だった」との認識を抱いていた。使用していたテキストでも「長崎の原爆投下をめぐっては議論がある」と紹介されていた。
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アメリカ人にとって、第二次世界大戦は「ファシズムに勝利した解放戦争」であるという意識があり、この意識が少なくとも長い間、共有されていました。原爆投下に対する「広島、長崎への原爆投下を正当化できるか」という質問に対しては、1945年のギャラップの調査では85%が「正当化できる」と答えています。それでも時間がたつ中で戦争についての見方も変わってきました。この記事もその一つ。原爆にしろ、東京大空襲にしろ、第二次大戦に対して当時のアメリカの戦略に否定的な世論も時間をかけて増えてきたといえる気がします。
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今だから言えることだよね。
あの時代世界には明確に白人至上主義があり、日本だけが
唯一それに立ち向かった。
有色人種である日本人にあれを使うことは、ドイツほどの罪悪感が
なかったのは事実。
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確かに日本の降伏は時間の問題だった。そういう意味では、原爆投下は不要だっただろうが、大戦後の冷戦における主導権を得るために、新兵器の威力を誇示する必要があったと言われている。その結果アメリカの核兵器独占に危機感が広がり、核兵器の技術がソ連にリークされたのは皮肉な話。
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今更この様な議論が必要なのかという意見もあるだろうが、私はやってみる価値はあると思う。
理由は、アメリカが「民主主義」の国だからだ。
アメリカ人が原爆投下が必要であったと考えればまた核兵器が使用される敷居が低くなる。
そういった意味ではこの議論は必要だ。
言い方を変えれば「戦争を終わらせるために民間人の大量虐殺が必要である」という考え方なのだ。
良識のある人間なら何かがおかしいと感じてくれると信じたい。
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仮に広島へ投下した一発が戦争終結の引き金になったとしても3日後の長崎投下は全く必要なかったと思う。日本はウラン型とプルトニューム型の実験場にされたのが真実ではないだろうか。当時の米国政府と関係した科学者たちの強い興味と願望がそうさせたと思う。
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戦争を経験していない米国の若者たちの意見はどう変化しているのか知りたい
当時の自分たちの国家が、投下して威力を確かめたかった、データが欲しかった
白人ではない日本人たちが、苦しむことなど気にしていなかったと認識し始めたのかな
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原爆による死者が殆ど一般人で14万人と大虐殺に間違いないのに何故アメリカの責任を追及しないのか不思議である。日本人はこの大虐殺の事実を発言しないで本当に核兵器の廃絶を真剣に考えているのか。本当に平和を考えているのか改めて不思議である。
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現代の価値観と視点で過去を冷静に分析し評価すべきであり、それは常に更新されるべきだと思う。ただし、その新しい価値観や評価軸をもって過去の出来事を現代に持ち込むことは不毛。
過去には過去の事情があり、現代には現代の事情があるので、混同せず歴史に学び歴史を紡ぐことが重要。
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戦術的な意味で必要性は皆無だった、ってだけの話でしょ。
その後の米の世界における戦略的意味合いにおいて必要、だから落とした。
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原爆と空襲(特に東京大空襲)は軍事目標主義もへったくれもなくて単なる大虐殺。
軍事施設を壊滅させれば戦勝とか終戦には十分な話。
敗戦した日本には隣国からあることないこと言われているが、戦勝国ももういい加減もう少し客観的な分析が欲しい。
あと、北方領土問題については、ソ連が南下してきたのはほとんどは日本がポツダム宣言を受諾してほぼ武装解除状態だったときで、戦争とも言えない単なる火事場泥棒、略奪だったことはもっと声をあげていいと思う。
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